隔離12 日目と四川
昨日夜に医療スタッフからメールがあり最後のPCR検査を19日にするのですが人数が多く結果が20日になるから1日、解除が遅くなるとの事。
マジか、ウソ〜!
泣けてきます。
迎えの車に連絡し伝えたら…
『またまた冗談やろ』って。
冗談でこんな事言えるかよ❢
の感じです。
気を取り直して今日の昼食。
鶏肉とトウモロコシ、豆の炒め物、チンゲン菜炒め、揚げ豆腐の煮物、骨付豚肉の甘辛痛め、梨でした。
10日も経つと飽きてきました。
今日は以前行った四川省をご紹介します。
四川省は成都を中心に広がった省で北西側は殆どが標高の高い山です。
人が住んでるかどうかもあまり分からないそうです。
中国国内線で無錫から約3時間。
重慶まで。
そこから高速バスで約2時間北へ上ります。
着いたのは四川省広安。
ここはかの鄧小平の生まれた地。
昔、松下電器を中国に初めて進出させ日中関係を切り開いた人です。
広安はかなり田舎ですが中心街は活気があります。
先ずは腹ごしらえとビール。
地ビール『山城ビール』かぁ〜旨いで喉が潤います。
と、牛肉拉麺。
かなり辣ですが私、実は大の辛党なので美味しかったですよ。
日本にいる時、健康診断で毎回、高血圧予備軍でしたが中国駐在の2年で正常値になってました。先生曰く、唐辛子効果との事です。
さて、これから向かうのは鄧小平の生家。
この地で農民の両親の基に生まれ幼少期を過ごした家です。
今は偉くなったので周りが整備され観光地化されていますが当時は山に囲まれた村だったそうです。
これが鄧小平の生家。
ここだけは当時のまま残されているとの事です。
中は土間続きの平屋で貧しい生活だった事が蘇ります。
一介の農民から中国No2まで登りつめた人だけにここ広安では英雄視されておりホテルなどは鄧小平○星ホテルとかの称号も有りました。
鄧小平博物館では毛沢東政権時代、鄧小平がパレードで使っていた車が展示されていました。
この時代、まだ一般市民には車は高嶺の花だったようです。
一通り楽しんで夜は四川料理❢
実は今回の旅の目的はこれでした。
店員はなぜかみんな坊主でした。
なんでかなと思いましたがまっエエかです。
四川料理の基本は麻辣。
辛いと痺れるです。
四川唐辛子と中国産麻の実。
期待を裏切らない料理でした。
鳥の足じゃなくて爪のところ。
コラーゲン豊富で私は大好きですがその見た目から日本人は食わず嫌いの様です。
巨大麻婆豆腐。
豚肉豊富でとても辛いです。
これ、地元の人曰く広安で一番、麻辣の料理らしいです。
牛のセンマイを辛いスープで炊き込んだもので唐辛子、麻の実、モヤシ、胡瓜、上には香菜が乗って食べたことが無いぐらい『辛え〜』でした。
地元の人はあまり日本人を見たことないらしくビールを持ってやってきたり、料理の説明をしてくれたり写真を撮ったり。
人生一、主役になってる感(笑)
ビールがかなり進んで酔っ払いました。
翌朝は朝から外で朝食。
四川風ワンタン。
この色、朝から予想を裏切らないところがすごい。
店の隅ではおばちゃんがワンタン巻いてました。
今度は川。
広安に流れる渠江です。
水はかなり濁ってますが赤土のせいです。
この辺は赤土の山が多く、レンガ造りが盛んです。
そのせいで雨が降ると赤土が流れ出し所によっては道路なども泥水が流れてますよ。
で、夕食は串の火鍋です。
これまた、絶品でした。
重慶が火鍋は有名ですが四川の火鍋もナイスでした。
串の数でお勘定してました。
翌日朝は高速バスで重慶に移動。
どうしても食べておきたいのが本場の火鍋。
飛行機は17時なので火鍋を食べてしばし観光が出来ます。
やっぱり美味いです。
辛くないスープも頼めるので甘党の方でも安心です。
無錫でも火鍋はよく食べますがやはり一味違います。
観光。
重慶は高低差が激しく坂道ばかり。
山の斜面にビルが建ってます。
寺院も多くかなり昔の建物が多く残ってました。
下に流れてるのが長江です。
今回の旅でお見せできなかったのが残念ですが重慶は四川からの渠江と長江が交わる所です。
2つの大きな色の違う川が交わる景色は中国の広大さを感じました。
違う国に来ている様です。
もちろん、言葉も方言があり通じません。
だから共通語(普通话)が出来たんでしょうね。
学校では共通語で教えてるらしいです。
これによって内地から沿岸部へ出稼ぎに来てる人たちが暮らせるんですね。
まだ沢山の人が子供を置いて出稼ぎしてます。
年に一度、旧正月(春節)に故郷に帰るのを楽しみに‥
今回の旅の感想は。
奥に見える山から標高が高くなり山また山になります。
『こりゃ〜パンダも居るわなぁ』です。
このブログへのコメントは muragonにログインするか、
SNSアカウントを使用してください。